私のブログに訪問していただいてありがとうございます。
ずぶの素人ですが、いいこと探しの「日時計主義」で写真を撮ったり、俳句をひねってみたりしています。
 
水仙の絵手紙

人知れず 春を寿ぐ 水仙花

一足はやく春を察知したのか、水仙の花がかなり咲いてきました。

これは水仙のなかでも比較的地味な感じのする日本水仙だと思います。

道端や空き地でよくみかけます。

丈夫で育てやすく、放任していてもじゅうぶん毎年花を咲かせてくれます。

目立たないところで静かに咲いているのが私は好きです。


最も尊いのは報い求めぬ愛

結果からいえば、与えれば必ず与えられるのであるが、与えられんことを欲して、人に与えても本当の喜びは得られないのである。
もし報いを求めて人に与えるならば、それは本当に与えているのではなくして、ただ取引をしているだけである。
「純粋に与えること」と「取引すること」は全然別物なのである。
取引は商行為であって与えることではないのである。
もし報いを求めて与えるならば、報いが与えられない時には腹が立ってくるであろう。
かくの如きは神の如き与え方ではないのである。
神は善人にも悪人にも、太陽が善人にも悪人にも光を与え給うが如く平等に恵み給うているのである。
吾々の与え方も神の如き与え方になってのみ本当に神の無尽蔵の与え方が現れて来るのである。


(谷口雅春先生著 『新版 生活と人間の再建』 より)

| 桜 森人(さくらもりと) | - | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
レンコンの絵手紙

蓮の根や 泥田の中の 宝もの

先日、広島の親戚からいただいたレンコンを描きました。

泥の中からきれいな花を咲かせたり、深い泥の中でおいしいレンコンが出来るというのは不思議なことです。

一見不幸のように見えることのなかに、大きな喜びの花が咲くということを教えているようです。

 「よろこびよ来れ。わが家はよろこびの庭。すべての人新しき日を仰ぎ、すべての人新しき生命を生き、さんざめきて、われら新しき年を迎う。悲しみは過去にさりたり。嘆きの日は消えてあとなし。暗黒は光の前に、其の無をば暴露したり。
 わが家はよろこびの庭。わが家は光の御園。ああ大いなる光われを包めり。天国は今此処にあり。さんさんと日は輝けり。」


(谷口雅春先生著 『新版 女性の幸福365章』 より)

| 桜 森人(さくらもりと) | - | 11:46 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
落ち葉の絵手紙
 
うちの師匠寺、臨済宗妙心寺派大龍寺の上方にある遍照山の展望台からは、宍道湖や大山、三瓶山が一望の下に見渡せます。

散歩の途中、すこし足を伸ばして登ってみたら、すばらしい晩秋の風景が広がっていました。

数枚の落ち葉を拾って帰って、晩秋の風景を描き込みました。

落ち葉ってそれぞれに変化があっておもしろいものです。

俳句をひねって添えておきます。

遍照山 登れば秋を 一望み

『われ今此処竜宮城に坐して、塩椎(しおつち)の大神より如意宝珠を得たり、わが全身如意宝珠なり、光明燦然として十方世界を照らす、十方世界光明遍照、わが全身光明遍照、十方世界光明遍照、わが全身光明遍照・・・・・

わが全身如意宝珠なり、潮満(しおみつ)の珠(たま)なり、汐干(しおひる)の珠なり、欲するもの好ましきもの自ずから集まり来たり、欲せざるもの好ましからざるもの自ずから去る。


ありがとうございます、ありがとうございます・・・・』 
    (如意宝珠観の一部)
                             
| 桜 森人(さくらもりと) | - | 06:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
柿の紅葉

生きぬいて 春を夢見る 落葉かな

富有柿もあと少し木になっているのですが、柔らかくなったりして収穫はほぼ終わりだそうです。

赤く紅葉した葉っぱは、一役終えて散って行きます。

落葉の微妙な色合いの変化を、丹念に見つめながら絵に描いてみました。

まだ緑色を残しながら、きれいに赤くなって行き、最後は茶色に変色してやがて微生物に分解されて土に帰って行きます。

まるで人間社会の栄枯盛衰、諸行無常を見るようです。

一貫して変わらないのは、来年もかわらず芽吹いてくる生命力が、落葉のかげに秘められていることです。

不生不滅!

悔いのない一生を生きぬいて行こうと、春を夢見て今日もまた・・・・

「生まれる」という考えは「何々から」という、それが存在に入る前の原因者があって、“その原因者から生まれる”ということを意味するのだが、神は最高の第一原因者であって、生まれることなく、それみずから存在するのである。だから、神は“不生(ふしょう)”であり、従ってまた不滅であるのである。
(谷口雅春先生著 『神 真理を告げ給う』 より)



| 桜 森人(さくらもりと) | - | 06:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
モミジの絵手紙


乳のみ児や いとやはらかき もみじの手


散歩の途中できれいに赤く色づいたモミジがありました。

娘たちの小さなころの手を思い出し、絵手紙にしました。

その後、宮島の「もみじ饅頭」は伊藤博文が宮島に参拝したときに、モミジが孫の手によく似ているといったところから出来たものだと、もみじ饅頭の由来をある方から教えていただきました。

感ずるところは時代を超えて同じなのだなと思ったことです。
| 桜 森人(さくらもりと) | - | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
イチョウの絵手紙

「万事好都合 必ずよくなる」

なにごとも都合よくゆくもので、必ずよくなるものである。

一時悪いことが起こったように見えていても、それをきっかけにして事態が好転する場合もあり、反省するための機会であったりするもので、悲観することはありませんね。

かならず良くなるという信念をもって明るい心で前進すればいい。
| 桜 森人(さくらもりと) | - | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
鬼柚子の絵手紙
 
足るを知る 神の恵みは 豊かなり


| 桜 森人(さくらもりと) | - | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
野鶏頭


野鶏頭 雲は流るる 天高し

晩秋のつかの間の青空に向かい、野鶏頭がもう少し咲かせてくださいと請うているような昼下がりです。

平地でもかなり紅葉が進んできました。

もうところによっては雪の予報も出てきました。

雲の流れも速くなり、めまぐるしく天気が変わっていきます。

東北ではもうかなり寒くなったそうです。

寒さもある程度必要ですが、仮設住宅では寒さはこたえるでしょう。
| 桜 森人(さくらもりと) | - | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ツワブキ
陽だまりを ツワブキの花 独り占め




本来、半日陰を好んで育つツワブキですが、わりと日当たりのいいところでも、群落ができることがあります。

今年は少し暖かいとはいえ、ようやく肌寒い風が吹き渡るようになってきました。

先日、ツワブキの花がわずかな陽だまりの中で、あたかも太陽の光を独り占めしているかのように、美しく黄色に咲いていました。

花が少なくなった晩秋では、黄色い花はかなりよく目立ちます。

しかし、この写真を撮ってからしばらく経ちましたので、いまはもう花びらがほとんど散ってしまい、木枯らしが吹く季節に変わってきました。

北海道では初雪が降ったというニュースが流れました。

そろそろ冬の準備をしなければ・・・

[すべては神の御業(みわざ)のあらわれんがためである
]

 すべて神の御業のあらわれんがためなのである。「悪しきものは本来ない」と天理教祖も同じことを説いているのである。
 一様に悪しきというてないけれど、ちょいとほこりがついただけなり
 という天理教祖の筆先がそれである。イエスが少年の眼に泥を塗ってやったのは、すべて罪というものは、この泥と同じようなもので、実相の光の上を、ちょいと覆うて、その光を隠しているだけのものである。光がないのではなく、ただ泥をかぶっているだけである。その泥を洗えば、本来の光が輝き出すのである。その泥を洗うはたらきも神から来るのである。泥中にある蓮が、時来れば、美しき葉茎を水上にあらわし宇宙の実相をあらわす蓮華荘厳の姿の花を開くのである。これが神の御業である。すべての人間はみな荘厳なる“神の子”の実相の花を開かす時が来るのである。あなた達よ、恐れず、憂えず、悲しまずに進み行け、必ず神の御業があらわれる。そしてその神の御業は、あなた達の実相の中に既にあるのである。あなた達が日本人であるならば、あなた達は既に古代から、日本人は自分自身の命を“命”と称んでいたではないか。泥中にあっても蓮華は既に咲いているのである。

(谷口雅春先生著 『神真理を告げ給う』 より)

| 桜 森人(さくらもりと) | - | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
西条柿の絵手紙

島根特産の西条柿です。

昨年は不作の年でしたが、今年はよくなっていると聞いています。

しかし、台風の影響で、葉っぱが落ちたり、果実が風に振られて傷ついたりしていいものが少ないという話も聞きます。

当たり前に実って収穫ができるということはありがたいことです。

「楽園はどこに」
木々は秋に紅葉しなくてもいいし、果実を実らせなくてもいいのである。春には花が色とりどりに咲かなくてもいいのだ。また風は吹かなくてもいいし、空に雲は浮かばなくてもよい。鳥が木々の間を飛び交う必要もないのである。けれども、これらのことが実際何も起こらなければ、私たちの生きる世界は何と味気なく、殺伐としていることだろう。同じことは、自然界についてだけでなく、人や物事についてもいえる。私たちは、周りの人々や物事の善き面から、限りない恩恵を与えられつつ生きているのである。心の目を開いて、あらゆるところに神の恵みを見ることができれば、楽園は今ここにあることがわかるであろう。

(谷口純子先生著 『うぐいす餅とバナナ』 より)
| 桜 森人(さくらもりと) | - | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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